竹馬の友

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幼児期に見上げたり、抱きかかえてくれた自分の父親は、体は大きくて逞しく、何でもできて、何でも知っている、そんな「絶対的存在」でした。鞍馬天狗や月光仮面やスーパーマンなどの英雄に、勝るとも劣らない、実に頼り甲斐があった父でした。ただただ『すごい!』存在でした。子どもの発達段階で、この様な父がいてくれることは、必要だと言います。

ところが、そんな父親に欠点や弱さが見え始めてくる頃になると、次には、「友」が必要とされてきます。〈親離れ〉をして、家庭からも一歩出た外の世界で、子どもは「友」を求め始めていきます。これは、《社会性の発達》のために不可欠なことなのです。異性愛に向かう前に、この過程を踏む必要があります。「女の愛にも勝る友情愛」に触れられたら素晴らしいことです。

「竹馬(ちくば)の友」とか「畏友(尊敬する相手のこと)」とか「刎頚の友(ふんけい/生死を共にして、その友のためなら首〈頸〉をはね〈刎ね〉られても悔いのないほどの相手のこと)」とか言います。肩を組み合って歩き、自分の好きな女の子の名を告げ合え、自分の心の中を見せることができ、秘密を露わにでき、その秘密を厳守し合える友を、そう呼んだりするのでしょうか。

中国の「晋書 殷浩伝」に、殷浩(いんこう)と桓温(かんおん)という二人の軍人が登場します。この両者は、幼い日を共に、親しく関わって過ごしていました。「三国時代」の終わり、「太平の時代」を迎えようとしていた頃のことです。その晋王朝が、異民族の襲来に滅ぼされてしまいます。そんな状況下で、「殷浩」の方が名声を上げていたのです。幼馴染みの「桓温」が、『幼き頃、殷浩とは、竹馬で遊んだものだ。私が竹馬を棄てたら、殷浩がそれを拾って遊んでいたのだから、私の方が上だった!』と立場を主張したと言うのです。

それで、幼い日の友のことを、「竹馬の友」と言う様になったのだそうです。私は、竹馬も自転車も、乗り方を、兄に教えてもらったのです。私が好きな格言は、『友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。』です。歳を重ねた今も、そんな友や兄や弟がいるのは、なんと言う幸いでしょうか。それでも親爺の背中は、子どもの私の目に大きく広かったのです。
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